”国が管理”は悪なのか?

備忘録

今年の元旦に起こった能登半島の地震は、大変痛ましい災害でした。被災された皆さんには、一日も早い復興をお祈りします。

石川県では、行方不明か?という人たちのリストを公表し、情報提供を呼び掛けています(「令和6年能登半島地震における安否不明者一覧表」のページはこちら)。

検索のし易さを考えると、PDFファイルはどうかと思わなくもないですが、でもこうした取り組みで一刻も早く安否を確認したい、というのはよくわかりますし、県としては精いっぱいの取り組みということになるんでしょう。

筆者は以前、住民票や戸籍の情報について本来は国が統合したDBを作り各自治体にはアクセス権を与えればよい、という趣旨の話を掲載しましたが(当該ページはこちら)、この石川県の取り組みを見て、更にその思いを強くしました。

もっと効率よくできる筈

上述した石川県の安否不明者一覧について、ニュースでは転居等の可能性もあるのでその場合はご連絡を、といったお話をしてました。これについても、本来はもっと絞り込みができそうな気がします。

転居していても住民票を移さない、というケースはよくあります。かく言う私自身もそうでして、今は東京住まいで会社勤めしていますがあくまで仮住まいと考えているため、敢えて住民票は移していません。

ですが、こうした人の居住地の情報についても、ある程度は把握できる方法がありますよね。例えば電気や水道といったライフラインの契約や、ホテルの宿泊者名簿です。ただし、それらの情報と住民基本台帳の情報とを紐づける必要があります。どうしましょう?

マイナンバーの出番じゃないですか。

せっかく、国民一人一人にユニーク(他の人と重複することがなく世界で唯一、という意味ね)な番号を割り振っているんですから、それがライフラインの契約や宿泊者名簿記入に使われていれば、名寄せが簡単にできる筈です。

もちろん、普段からこんなことやりまくりゃいいって話じゃないですよ。でも、緊急時にデータを集めて名寄せしてやれば、安否確認にしてもかなり効率的=迅速にできるようになるんじゃないでしょうか。それが簡単にできないのは、マイナンバーを民間含め容易に利用できるようにしておかないからです。

何故、管理してはならぬのか?

国による管理というと、拒否反応を示す人たちが大勢います。

過去、国が管理することで個人を弾圧するようなことが何度も行われた、その歴史を踏まえると分からなくもないですが、他方、せっかく効率化できることができないというジレンマをどうすりゃいいのさ、ってことについて、しっかり議論されたとはとても思えません。

少なくとも、私は自分の居場所だろうがお財布の中身だろうが思想・信条だろうが、何を信じていようが支持政党が何だろうが、管理していただいて一向にかまいません。

そらまぁ、居場所に関しては多少はねぇ…困る場合もねぇ…あるかもねぇ…とは思うものの、それが大っぴらにならないのであれば、どってこたぁないです。居場所なんてのは今でもGoogleにガッツリ把握されてたりしますしね。

把握されているから、自由が阻害されるの?

把握されているから、弾圧されちゃうの?

普通に暮らしていて、そんなことがあるとはとても思えないです。あたしゃ小市民ですからね。把握してくれて大いに結構。むしろ何かあった時の助けになるなら、積極的に把握し管理しておいていただきたいですな。

集中管理による効率化と、不正利用防止は話が違う

国による集中管理に反対する人は、国が信用できないとか言います。信用できないってことなら、人間がやることなすこと全て信用なんかできるわけありません。

だから管理しちゃダメなんだってのは、ちょいと方向が間違っていると思います。管理する体系なんてのは簡単なほうが間違いも不正も見つけやすい筈。今は、あっちこっちにバラバラにデータが管理され、その仕組みは複雑怪奇で、コントロールするったってどーすりゃいいのかワケわからん、ってのが実態のはず。

集中管理の仕組みを作る上で、不正利用を防止する仕組みはどうあるべしってのを積極的かつ具体的に議論すればいいんじゃないでしょうか。

少なくとも、危ないからやらせないってことじゃ、効率化なんてずーっと縁遠いままでしょう。そんなことを主張する人たちには、役所が無駄な仕事する、なんてぇことを主張していただきたくないですな。

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