法律やルールというのは正義の味方ではありません。それをよく知っており、実践している者の味方です。今回は、そーゆーお話です。
ルールはお嫌い?
デジタル機器が生活のあちこちに普及してきました。これらの機器についてはセキュリティ対策が重要ということで、セキュリティ保護のため、利用者にも数多くのルールが課されています。
セキュリティポリシーってのがその最たるものですよね。
IT関連部門にいれば、いやでもそうしたポリシー、ルールのことを意識せねばなりませんが、一般的な利用者にしてみたら、これらのルールはウザいだけってのが普通です。
IT部門がギャアギャア言えば言うほど、ウルセェよって反発したくなるってのもわかります。
ですが、そこをちょっと待ってくれないか、ルールの根本的な意味・目的って奴をあらためて考えてみてくれないか、というのが本記事の目的です。
ルールを守らないとどうなるか?
話は簡単です。何らか、処分されます。理由は簡単。ルールを破ったから。
そのルールの良い・悪いは問題じゃありません。面倒くさかろうが、なんか理にかなってないなぁと思おうが、そんなことはどうでもいいです。
貴方が属している組織が定めたルールに、貴方は従わねばなりません。それに反した場合、どんなに不満だったとしても、貴方がルールを破ったという事実は変わりません。
これをひっくり返すなら、ルール自体が間違っていた、ということを自ら証明し、ルールの管理者にそれを認めさせ、ルール自体を変更しなければなりません。
その究極は裁判ってことになります。
当たり前ですが、法治国家である日本ではこうなんです。そこを忘れて・無視しては、貴方ご自身が不利になるだけです。
ある小学校での事件の記事から
話題にしたい記事へのリンクはこちらです(読売新聞2023年6月5日の記事)。
かいつまんでいうと、ある小学校で担任の先生が忘れていったタブレットを生徒が見て、気分悪ぃことが書いてあったもんだから問題になっちゃった、というもの。
市教委のタブレット利用規定では、児童の個人情報を入れることは禁止されていたそうですが、この先生はそれに反してしまった、ということでした。
ネット界隈でも先生の資質を問うたり、生徒の行動を問題視したりなどと色々議論になっているようですが、それらについては私は何も言いません。
ただ、ここまでの話でもうおよそ予想がついているかもしれませんが、この先生の問題だった点は入れてはいけないデータをタブレットに入れてしまったという事実だったと思っています。
面倒だよね、そーだよね。よくわかります。
対象となったデバイスはタブレット。当然、授業などで使う機械なんでしょう。
ほかの機械を持ち歩く、機械とは別にノートやメモを持ち歩く…なんてぇのは面倒くさい。折角もち歩くデバイスがあるんだから、そこに記録を入れておけばいいじゃん。その通りです。
ただ、それはやっちゃいけないルールになっていた。
どんなに面倒くさくても、無駄だと思っても、やっちゃいけないんだからやっちゃいけない。それをやっちゃったから、先生はどうしたって言い逃れできません。
こちらの先生がこれを問題じゃないとするには、タブレットに情報を記録することを認めろ、とルール変更させねばならなかったんです。
当然、この先生はそのルールを守っていなかったということで市教委から何等か叱られることになってしまいます。
ルールを守るということは、自分を守るということ。
一般ユーザが必ず、常に意識していなければならないこと。
それは、組織は自分を守ってくれない、という現実です。
組織は組織自身を守ります。貴方を守ることと組織を守ることが一致していれば、一緒に守ってくれますが、少しでもズレがあると、守ってくれません。ズレてないとは、完璧に組織のルールを守っている、という状態を指します。
ですが、ルールを守っておらずに何かアクシデントが起これば、それはあなた自身のせいってことにされてしまいます。
ルールを完璧に守った上で起こったアクシデントであれば、それはルールが悪い、組織が悪いということにできます。そうなればしめたもので、組織が組織とともにそこに属している貴方も守ってくれる(はず)。
これは、暗黙のルールや倫理上どうよって話も含めて考えねばなりませんから、意外と大変です。
まぁ完璧とは100%とかいうのが難しいのはわかりますが、少なくともこのことを意識しているかいないかはかなり違うんじゃないかな、と考える次第。
かく言う私とて完璧なんて言うつもりはなく、何か問題がおきた時は仕方ないよなって思うようにしています。
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